ずっと考えていたことなのですが、進んでいく文化や文明の恩恵を享受するということは、最低限「コレさえできれば生きていける。」というハードルを上げてしまっているという事実。
何を言っているか判らないかと思いますが、私自身の体験談から例に取ります。
資格を取って就職した先で初任給が振り込まれました。下ろそうと思い銀行へ行ったのですが、ATMの使い方が判らず接着剤で貼り付けられていた計算機に自分の暗証番号を打ち込んだという失敗をしました。
他にも
MDとMOの区別がつかなかった。
スイカのみの自動改札に切符で侵入しようとした。
TUTAYAの無人貸出機の前をうろうろした。
スーパーのレジまで無人とかもうヤメテ。
コレ自体はただの間抜けな話なのですが、介護の仕事をしているとATMやその他の新しい機械は適応できない層の方にとってストレスになっている場合があると感じます。
ええ、私です。
お金を下ろすのは窓口に通帳とはんこと金額を書いた紙を持っていけばすみます。ATMを使うとタッチパネル・ICカード・指紋認証等意外と手続きが多いです。やらなくてもいいものがありますが。
電車もそうです。地方のローカル線を使うと対面窓口で切符が買えます。出る時も駅員さんに切符を渡します。機械に慣れていない方には今のパネル式券売機や自動改札はいまだにストレスだそうです。スイカくらいまで簡略化されると返って楽になるようですが。
高齢者にスマホをプッシュしている某電話会社のスマホを買わされた方からレクチャーを求められたことも一度や二度ではありません。ガラケーで問題ない方に難しいほうを売るのはどうかとおもいます。
知的障害や発達障害の場合はもっと複雑です。
一概にIQで判断することはできないのですが(Emotional Intelligence Quotient:EQというのもありますし)療育手帳などがIQを一応の指標にしているのでIQで説明します。
知的障害で軽度とされるのは概ね51から69 重度は34以下。ただし区分や判定方法によってばらつきがあります。
知的障害には金銭価値・契約行為や社会的ルールが理解できないレベルから、複雑な機械はあつかえないが日常生活は大丈夫というレベルまで様々です。
ただ「金銭管理ができる」というものを一つの指標にしてみても、ギャンブルで金銭管理ができない人はIQの高い方が多いですし、IQが低くても窓口で会話ができれば銀行を利用できるのでクリアという方もいます。
身体の障害でも当然ですが、車椅子が完全に利用できる場所であれば健常者と歩行困難者の間に差はないわけで、左利きの人と右利きの人がいるくらいの差異でしかありません。
つまり、障害と言うものは現行の社会に対してどれだけ適合できるか、また大多数の社会に対してどれだけ負担のかかる状態であるかというのが、その障害が障害として捉えられるかどうかだけということになります。
文明が自給自足で狩猟で人口密度が低ければ、殆どの対人関係の問題は問題とならないはずです。
人力以上の乗り物がそもそも存在しなければ、乗り降りの不便さや移動ができない等の問題は問題となりません。行動範囲の問題は個人の能力のみで測られるからです。
そのツールが存在するから利用したくなり利用できる人とできない人との間で格差が生まれてしまいます。
全ての人に均等なサービスというものは目指す価値があり理想ではありますが、今の段階で無理・不可能というものはたくさん存在します。
ものが発達しすぎて最低限生活できるIQが上がってしまうのは問題ですが、今実現できないことを無理に求めるのも間違っているのではないかと思います。
生きると言うところを基準にして何がオプションでつけられるかを考えていくのがハードルを上げすぎない方法名のではないかなと思います。
できないのならオプションを過剰に求めない。
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