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2019年11月24日日曜日

足踏みシンガーミシンの修理 01

こんにちは、今回は台風15号で屋根が飛んでしまった祖母の家から救出してきたシンガーミシンを直そうという企画です。
本業は治療家ですので、このミシンは直した後治療室の受付デスク兼私の縫物用に使おうと思います
 まずはこのシンガーミシンのプロフィールから。
調べられた限りにおいてですが以下
製造年は1935年製
スコットランド/クライドバンク工場で作られたもののようです。
シリアルナンバー「EA027897」をシンガーミシンのサイトで調べさせていただきました。

 さてこの足踏み式シンガーミシンは、ミシン部分とデスク部分と本体が完全に独立しています。
ですのでまずデスク部分と鉄足部分はこのように分離します。マイナスドライバーで外すことができます。


すべてマイナスドライバーで上の写真のように外せます。

この鉄足部分は電動ドリルに100均で買ってきた真鍮ブラシをつけて磨きます。



上左が磨く前、上右が磨いて機械油(CRC)をつけた布で吹いたものです。
ここで注意ですが、ミシンの駆動部分にCRCは吹いてはいけないそうです。そこはミシン油で。

細かいパーツはサビアウトという商品を使いました。リン酸と界面活性剤でできている薬液ですが、なかなかきれいになります。


 長くなりそうですが一回目はここまでということで。

2018年6月13日水曜日

蚊のいなくなるスプレーとリスク

 前回「蚊のいなくなるスプレーの屋外使用」をちらっと書いたのですが

 今回これをもう少し詳しく書きます。

 すでに多くのサイトでその危険性が書かれていますのですこし違った切り口で書いていきます。

 まず、このスプレーの有効成分ですが

 ピレスロイドという成分です。

 キンチョーのサイトへ行くと非常に詳しく書いてありますが、安全だという主張を強く全面に出しているのでリスクについて書いていきます。

 健康被害としては主にアレルギー症状のようです。

 紅斑、皮膚炎、丘疹、掻痒などの皮膚症状、気管支喘息、傾眠、血管運動神経性鼻炎、アナフィラキシー様反応、口唇のしびれ感、吐き気、下痢、耳鳴り、頭痛、情動不安、協調運動障害、間代性痙攣、知覚麻痺、衰弱など神経症状が現れることがある。重篤な場合は中枢性の呼吸停止により死に至る場合がある。

以上ウィキペディアから抜粋

ただこれはあくまでアレルギー症状なので同様に蚊に刺された場合のアレルギー症状を下に記載します。

蚊刺過敏症 通称「蚊アレルギー」

一般的な赤み 腫れ かゆみ だけでなく

水泡(みずぶくれ)、
血泡(ちまめのようなもの)
壊死・潰瘍(皮膚がただれ、じくじくし、へこむ)
ひどくなると発熱 リンパの腫れ 下痢などが見られることもあります。

蚊の唾液腺だけでなく、EBウイルス(ヘルペスの一種)に常時感染していると起きやすくなります。

蚊に過敏性を持つ人はこちらのほうが恐怖でしょうね。

 ところで、最近の若い人だと「等価交換」や「リスクとリターン」や「安全マージン」という言葉が浸透していて

「多少のリスクがあっても利益が上回るようであれば採択する」
という考え方に慣れている方が多いようです。

というわけで、その観点から次のような考え方を提案します。

デング熱で重症になるのが良いか、ピレスロイド系殺虫剤を使って健康被害のリスクを追うのがいいか

蚊がうるさくて睡眠の質が落ちる方を取るか、薬品を使わず虫が身近な生活を取るか

以前に書いた「安全」と「安心」はかならずしも同時に確保できるものではない。という話と同じですが

しっかりと利益と損害を考えて使うことを決めましょう。という考え方です。


余談ですが
私は家の中ではこのスプレーをめったに使いません。なぜなら

壁の蚊は「家蜘蛛」が食べてる

網戸を右側にしておけば蚊は侵入しない
ミントスプレーをかけてから家の中に入れば蚊はついてこない

これでほとんどの蚊は防げます。一番目の蜘蛛が耐えられない方が多そうですが。

2018年2月19日月曜日

進学報告をいただきました。

 自分がやりたいことと接骨院という業態に大きなギャップを感じて、整体院というあやふやな感じ(一応、鍼灸治療院という形では保健所登録していますが)で始めて6年たちました。

 仕事の傍ら高齢者支援事業などに参画していますが、もう一つライフワーク的にやっている仕事が

「不登校児」や「引きこもり」「就労困難者」の支援です。

 昨日、相談者のご家族から進学の報告がありました。今受け持っている方では最後の報告でしたので一安心。

 不登校や引きこもり、またさまざまな理由で仕事が続かない方というのは現状の福祉制度では非常に取りこぼしが多くなります。

 近頃は高齢者やそのご家族に対するフォローも行政や公的機関では難しい部分が出てきています。

 私は難しい理由の一つに「多様化」があると思っていますが、高度経済成長期からバブル崩壊を経て、働き方の多様化を政府が認め改革を行おうとしている時代です。

 働き方が多様化するということは、そこにいたる筋道も当然多様化しているということです。

 多くの相談を受けてきて、確信しているのは

「前の時代の成功体験は、次の時代ではまったく参考にならない」

ということです。

 とはいっても、家族全員で出口がわからなくなっているケースもありますので、私の場合は一つ一つ状況を分析しているので、上のような確信とはまったく関係ない課題が見つかることも多いです。

「孫が働かない理由の根本原因が祖母の介護にあった」

そんなケースもありました。もう少し詳しく書くと

「そもそも、孫に祖母の世話をさせてた事実を家族全員が忘れて働かない孫を責める家族」

ぐちゃぐちゃです。そもそも何が原因だったか誰も覚えていません。

 守秘義務とかあるので細かくはかけませんが、私のブログにはこの手の話が多いので

「なんだか、うちと似てるかも??」

って言う共感があれば幸いです。


2017年1月24日火曜日

講演をしてきました。

 静岡県立特別支援学校に依頼されて、講演をおこなってまいりました。

特別支援学校での講演ということは当然、日常生活・社会生活の一部もしくはすべてに何らかの支援が必要な方とその関係者へ向けての講演です。

 あえてここに書く理由なのですが、お話をさせていただいて……って堅苦しいですね。

ブログなのでもう少し砕けた感じで書きます。

医療福祉の仕事をやっていて前から感じていたことなのですが

1、多くの障碍者とその家族は支援があるのが当たり前だと思っている。

2、健常者や支援が必要でない人は、手助けなしでは社会生活ができない方々の存在を意識していない


2に関してはこれは当然なんですね。

日本の経済発展の最初のほうでそういうことを意識しなくてもいい世界の中で教育を受けたからです。

当然なこととして世の中全ての基準はそれを意識した人にだけ見えるってことです。

たとえば、

株を買っていなければ株式市場なんて気にしない

多くの夫は妻が家計を考えて食事を作っていることを意識しない

多くの主婦は夫が会社でストレスを抱えていることを意識しない

子供は親の想いを受け取れず、親は子供の年齢なりの悩みを忘れる

政治に強く興味がなければ、選挙もいかない

これが大多数の普通です。


だから、支援が必要な人々の存在をそれを必要としていない人々が意識していないのは当たり前なのです。

支援が必要な人のことを考えましょうってとってつけたように先生から言われてもピンと来ない。だから福祉系の大学を出て現場に入っても「思っていたのと違う!」と辞める人が出てくるわけです。

それは薄情なのではなく、単純に認識がそこまで到達していないか適性がなかっただけです。

じゃあ
1、多くの障碍者とその家族は支援があるのが当たり前だと思っている。

これはいったい何なのか?

単純にびっくりして、混乱して、そのまま制度に流されているうちに「自助」の意識を忘れてしまったのではないかと私は考えています。

いい意味でも悪い意味でも制度が進んできてベルトコンベア式にわんこそば式に支援が進むので、考えるいとまがない。

これはケアマネをやっていて常に感じていることです。「支援待ったなし。死んじゃうぜ!?」っていう状況も多いので一概には言えませんが。

なので、外で介護や支援について話をするときに必ず入れる言葉が

「誰かが先に作った世界で、ルールに沿って生きなきゃいけない」

「まず、自分で努力する自助が存在し、その後互助 共助 公助があるんだ」

「いつか自分が支援を受ける側になる時が来る」

この三つです。

だからたとえ重い障害を持っていても仕事を持ってお金を得て税金を健常者と同じに払っていれば、それは健常者と同じです。

「でも、こういうところが大変なんだよ!」っていう方もいますが自分+一部支援で生活ができていれば普通の「社会人」です。

障害っていう部分にこだわりすぎている当事者が多いので、私は最初に今ある社会にどうやったら溶け込めるかを考えてほしいと言います。

ここまでですでに「えー!?」とか言われてしまいますが、今の政策「一億総活躍」で言えば

要支援者もサービスを依頼することで職業としての介護職が成り立ち、支援を受けながらその人に合った仕事を行うことで少しでも所得を得て経済に参加する。

これも一つの一億総活躍だと思います。

この系統の話は尽きることがないのでまた機会があれば書きますが、いろんな形の「自助」から始まるという考え方だけは私の変わらないテーマです。