こんにちは、今回はO脚のお話。
ダンサーさんや就職活動をこれから行う方、または、長い間に変形性膝関節症になってしまってO脚になってしまった方
様々な方の相談を受けます。
その中で今回は、若い方。10代20代でO脚を気にされている方への情報となります。
結論から先に書くのがよいと思うので書きますが
1、「見た目が問題でO脚を気にしている」
のか
2、「O脚であることで生活に支障がでているのか」
で大きく治療や指導が変わってきます。
若い年代で2、で悩んでいる方はほぼ見られないので多くの場合は1、で相談にいらっしゃることになりますが
私の所に来る頃には多くの方が
「治す」ということに強くこだわっていて
治った結果、どのような暮らしが待っているかという部分が考えられなくなっている場合があります。
そこで、あえて次のようなアドバイスをするのですが
「まず、見た目で綺麗に見えるように姿勢を整えて。O脚自体の関節の問題は少しずつ治していきましょう」
この見た目というのが大切なのですが、化粧に代表されるように他の人から見られたときに違和感を感じられないように姿勢や立ち方をコントロールできるようにするほうが
速く、効果的です。
逆に関節いくら修正しても、立ち方動き方見せ方が改善されていなければ他人に違和感を与えてしまうこととなります。
パス とかスルーとか言われますが、「他社からの視線や関心のコントロール」
この部分をリハビリしていくほうが、素早くO脚の問題を解決できます。
2020年1月15日水曜日
2020年1月8日水曜日
スポーツの語源と地域福祉への体育振興
こんにちは、難しい話題が続いていますが申し訳ありません。
今回は、マス釣りや宝探しはスポーツではないのか?的な話です。
なんのこっちゃといった話かと思いますが、私が御殿場でかかわっている地域活動の一つに
「かまどまちづくり推進協議会」というものがあり、その団体が地域の体育振興会と合同でやっている催しに関係する話です。
東京オリンピックが近いので、スポーツという言葉の意味をご存じの方もいらっしゃるかと思います。
ここで改めて説明です
英語「sports」からの外来語がカタカナ語の「スポーツ」
もともとの「sport」という英語は19世紀から20世紀にかけて国際的に使われるようになった言葉です。
おおもとの語源はラテン語の「deportare」デポルターレです。
その意味は大体こんな感じ
「人間の生存に必要不可欠なことから一時的に離れる、気晴らしをする、または休養をする、楽しむ、遊ぶ」
一言でいえば日常を離れ、非日常を楽しむ
です。
この辺りをさらに詳しく書こうとすると、スポーツ史やスポーツ人類学という別の分野の話になってしまうので、私のブログではここまで。
と、いうわけでいろいろぶっ飛ばしますが
要するにマス釣りだろうと、宝探しだろうと、散歩だろうと、それが人間の生命活動に必ずしも必要でないもので、楽しければ「スポーツ」です。
ちなみに現在の文部科学省が標榜する「体育」も
「身体能力」に過度の重点を置くことは、子供たちの体育嫌いやスポーツ嫌いを助長することにつながりかねないことから避けなければならない
と、明言しています。
また体育は「身体能力」「態度」「知識、思考・判断」のすべてをバランスよく育てることが重要です。
地域に住む様々な年齢、性別、身体能力を持つ住民が、お互いに影響しあいながら何か普段と違うことをする。
それだけで立派な体育振興なのです。
参考資料
文部科学省ホームページ
岸野雄三:「人類学とスポーツ」『スポーツ人類学研究』第 2号2000年
今回は、マス釣りや宝探しはスポーツではないのか?的な話です。
なんのこっちゃといった話かと思いますが、私が御殿場でかかわっている地域活動の一つに
「かまどまちづくり推進協議会」というものがあり、その団体が地域の体育振興会と合同でやっている催しに関係する話です。
東京オリンピックが近いので、スポーツという言葉の意味をご存じの方もいらっしゃるかと思います。
ここで改めて説明です
英語「sports」からの外来語がカタカナ語の「スポーツ」
もともとの「sport」という英語は19世紀から20世紀にかけて国際的に使われるようになった言葉です。
おおもとの語源はラテン語の「deportare」デポルターレです。
その意味は大体こんな感じ
「人間の生存に必要不可欠なことから一時的に離れる、気晴らしをする、または休養をする、楽しむ、遊ぶ」
一言でいえば日常を離れ、非日常を楽しむ
です。
この辺りをさらに詳しく書こうとすると、スポーツ史やスポーツ人類学という別の分野の話になってしまうので、私のブログではここまで。
と、いうわけでいろいろぶっ飛ばしますが
要するにマス釣りだろうと、宝探しだろうと、散歩だろうと、それが人間の生命活動に必ずしも必要でないもので、楽しければ「スポーツ」です。
ちなみに現在の文部科学省が標榜する「体育」も
「身体能力」に過度の重点を置くことは、子供たちの体育嫌いやスポーツ嫌いを助長することにつながりかねないことから避けなければならない
と、明言しています。
また体育は「身体能力」「態度」「知識、思考・判断」のすべてをバランスよく育てることが重要です。
地域に住む様々な年齢、性別、身体能力を持つ住民が、お互いに影響しあいながら何か普段と違うことをする。
それだけで立派な体育振興なのです。
参考資料
文部科学省ホームページ
岸野雄三:「人類学とスポーツ」『スポーツ人類学研究』第 2号2000年
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