特別支援学校での講演ということは当然、日常生活・社会生活の一部もしくはすべてに何らかの支援が必要な方とその関係者へ向けての講演です。
あえてここに書く理由なのですが、お話をさせていただいて……って堅苦しいですね。
ブログなのでもう少し砕けた感じで書きます。
医療福祉の仕事をやっていて前から感じていたことなのですが
1、多くの障碍者とその家族は支援があるのが当たり前だと思っている。
2、健常者や支援が必要でない人は、手助けなしでは社会生活ができない方々の存在を意識していない
2に関してはこれは当然なんですね。
日本の経済発展の最初のほうでそういうことを意識しなくてもいい世界の中で教育を受けたからです。
当然なこととして世の中全ての基準はそれを意識した人にだけ見えるってことです。
たとえば、
株を買っていなければ株式市場なんて気にしない
多くの夫は妻が家計を考えて食事を作っていることを意識しない
多くの主婦は夫が会社でストレスを抱えていることを意識しない
子供は親の想いを受け取れず、親は子供の年齢なりの悩みを忘れる
政治に強く興味がなければ、選挙もいかない
これが大多数の普通です。
だから、支援が必要な人々の存在をそれを必要としていない人々が意識していないのは当たり前なのです。
支援が必要な人のことを考えましょうってとってつけたように先生から言われてもピンと来ない。だから福祉系の大学を出て現場に入っても「思っていたのと違う!」と辞める人が出てくるわけです。
それは薄情なのではなく、単純に認識がそこまで到達していないか適性がなかっただけです。
じゃあ
1、多くの障碍者とその家族は支援があるのが当たり前だと思っている。
単純にびっくりして、混乱して、そのまま制度に流されているうちに「自助」の意識を忘れてしまったのではないかと私は考えています。
いい意味でも悪い意味でも制度が進んできてベルトコンベア式にわんこそば式に支援が進むので、考えるいとまがない。
これはケアマネをやっていて常に感じていることです。「支援待ったなし。死んじゃうぜ!?」っていう状況も多いので一概には言えませんが。
なので、外で介護や支援について話をするときに必ず入れる言葉が
「誰かが先に作った世界で、ルールに沿って生きなきゃいけない」
「まず、自分で努力する自助が存在し、その後互助 共助 公助があるんだ」
「いつか自分が支援を受ける側になる時が来る」
この三つです。
だからたとえ重い障害を持っていても仕事を持ってお金を得て税金を健常者と同じに払っていれば、それは健常者と同じです。
「でも、こういうところが大変なんだよ!」っていう方もいますが自分+一部支援で生活ができていれば普通の「社会人」です。
障害っていう部分にこだわりすぎている当事者が多いので、私は最初に今ある社会にどうやったら溶け込めるかを考えてほしいと言います。
ここまでですでに「えー!?」とか言われてしまいますが、今の政策「一億総活躍」で言えば
要支援者もサービスを依頼することで職業としての介護職が成り立ち、支援を受けながらその人に合った仕事を行うことで少しでも所得を得て経済に参加する。
これも一つの一億総活躍だと思います。
この系統の話は尽きることがないのでまた機会があれば書きますが、いろんな形の「自助」から始まるという考え方だけは私の変わらないテーマです。
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