2019年12月29日日曜日

地域文化に合わせた福祉や介護の在り方について一考

 まだ自分自身の中でも整理しきれていないので、徒然的なものになってしまっています。ご容赦ください。

 私は平成14年から介護モデル地域にされてきた経緯のある川崎で生まれ育ち、18歳から医療福祉に携わっています。
 私が19歳の時に創造の森計画というものが新川崎周辺に立ち上がり、そこで工業都市川崎沿岸部(川崎の奥のほうは、三代続く農家等普通にありますので、あえて沿岸部)の緑化再生計画の一端にかかわることになりました。

 その際大正時代からの川崎工業化の歴史を地域住民の皆で学び、そこから平成、令和へ続く川崎住民の高齢化、孤独化、そして様々な形での人生の終わり方をリアルタイムで見てきました。

 縁あって、御殿場に移住することになり令和元年からは富士岡地区15区の福祉推進委員委員長を任ぜられる事となりました。

 平成24年初頭に移住して、8年目となりますが徐々に大きくなってくる違和感としてもはや見過ごしてはいられないと思うようになったのは、以下

「都市部の医療福祉のパラダイムを輸入してくるだけ」


 この問題です。もちろん川崎横浜は人口も多く問題も早めに顕在化し、その結果対策も矢継ぎ早に行われた経緯がありますが

 実際にはもっと多くの問題があって事故もあって、当然介護にかかわる犯罪もたくさんあって当事者も専門職側も苦しんで乗り越えたり乗り越えられなかったりしてきました。

 ですが、御殿場に呼ばれて講義講師を行う「経験」ある専門家たちはそれを知らないのか、話さないのか

彼らの口からそれを聞いたことがありません。ほとんど多くの場合

「これは、こうだからこうである」


極端に言えば、都市部と郊外では人口も歴史も文化も風習も違います。同じものはかろうじて日本語をしゃべっているという部分だけです。

手前味噌で申し訳ありませんが川崎で生まれ、介護の黎明期に法人を行政の依願で作り、混乱期に国が押し付けてくる改正に翻弄されて、それでもまだ存続してる弊社で正直地べたをはい回りながら、法人として筆舌に尽くしがたいケースを数百件担当し今は御殿場で福祉に8年かかわっています。もちろん川崎にも毎週戻ってケアマネをしています。

だからこそ次の一年は言いたいしやりたい。

「御殿場市の風土に合った福祉を」


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